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2020.5.20

ヘルパーの皆さんへ感謝(卒業生・鶴崎彩乃さんのメッセージ)

社会リハビリテーション学科6期生の鶴崎彩乃さんが、自身のFacebookで日常生活を支えてくれるヘルパーの皆さんへ感謝の気持ちを記しておらえました。すごく心温まる話だったので、鶴崎さんと事業所の了承を得た上で、ここでも紹介させてもらいます。

以下、鶴崎彩乃さんが利用している土屋訪問介護事業所のHPより
https://tsuchiya-houmon.com/4173/?fbclid=IwAR3aZB_j_ZutwNqLt-akQi-FRZl4gkrQNaUQktHWU3RgUv3G62AJYYTRCxc

「彩乃ちゃんは、1人暮らしできると思うよ。」

約6年前、大阪からわざわざ私の実家に来てもらっていたヘルパーさんに言われた言葉だ。彼女は、ごく当然のことをいうようにサラッと言ってのけた。その言葉を聞いたとき、ここが1人暮らしを始めるタイミングだな。と思った。私は、母に「親はいつか死ぬ。障害に甘えず1人で生きていく道をみつけなさい。」幼いころから、そう言われて育った。うちは、母子家庭の期間が長いことや母が40歳のときの子どもで、なおかつ一人娘。自分が、いなくなったときのことを考えると怖ろしかったのだろう。普段は、どちらかというと甘い親だったと思う。しかし、「自立」というとに関しての母は、とてもリアリストで厳しかった。そのため、1人暮らしという提案をされたとき、即座に「やる。」という判断ができたのは、母の教育方針の結果なのだと思う。

1人暮らしを始めたのは、2014年の3月20日。大学の卒業式の4日前だった。4月からの就職先も決まり、精神保健福祉士の資格も取得できてまさに前途洋々。怖いことなんて何もない。そう思っていたがその根拠もない自信は、あっという間に粉々に打ち砕かれる。まずは、体調に異変が起きた。お腹が膨らみ始めたのだ。腹痛も伴ってきたので病院いくと、原因は便だった。生活のペースが一気に変わったことと、大学3年生の途中から1人暮らしを始めるまでほとんど休息をしていなかった。

そんな状況下での身体からのSOSサインだった。今考えてみれば、便ぐらいで済んでよかったなぁ。ぐらいのものだが、当時は悲惨な精神状態だった。なぜかというと、仕事を辞めて治療に専念した。それまで、「障害があっても能力があれば、働ける。私は能力がある人だから働けるわ。障害なんて関係ない。他の人と一緒にしないで。」と本気でこんなことを確信していたのだ。あーあ。恥ずかしい。「若い」とは恐ろしい。まさに天狗の鼻を自分の身体にへし折られたのだ。「いやいや。普通の障害者だよ。」と。それから、1人で色々なところに出かけるようになった。それがきっかけで、新しい趣味ができた。そして、途絶えていた縁をつなぎなおせた。その縁のおかげで私のライフワークもできた。感謝しかない。今は、リハビリをして当事者講師として皆さんの前で自分の経験をお話する。この生活にたどり着くまで、1人暮らしを始めてから3年ほどかかった。必要な時間だったと思う。あくまでも、今はだ。その当時は確かに大変だったが。

1人暮らしを始めて、「自分にはなさすぎるな。」と痛感したものがある。それは、コミュニケーション力だ。1人暮らしを始めてすぐの私の性格は、頑固で中途半端に頭が回る、さらに前述したように「自分は、他の人と違う。」と自分に酔っていたところがあり、何より憎たらしい奴だったと思う。人の好き嫌いも激しい。そのため、当時サービスに来てくれていたヘルパーさん達はさぞかしやりにくかったろうなと思う。本当に申し訳ない。今も100%は改善していないと思うので、気をつけよう。そんな私をあきらめずに「指導」してくれたのは、ヘルパーさん達だ。まず、最初に言われたのは「色々な生活歴・文化の違いがあるから、それを頭から否定せず話し合いをすること。」

次に「話し合いをせずに、自分で勝手に相手の気持ちを推測しないこと。」これを一気に1人のヘルパーさんに指摘されたわけではない。何人ものご尽力によって、徐々に私自身が学習し、心に落とし込んでいった。これらをヘルパーさん達に教えていただいて、自分で気づいたことがある。実家のときは、お風呂を手伝ってもらうためにヘルパーさんに来てもらっておいた。しかし、1人暮らしになったときヘルパーさん達に生活の全ての工程を手伝ってもらう、ということは、「命をつなぎに来てもらう。」ということだ。だから、自分のわがままを通せば、自分の首を真綿で締めることになる。そう考えるようになった。

今でもヘルパーさん達から金言をもらうことが多い。例えば、「ヘルパーさんに何か伝えたいことがあるときは、1回しっかり考えて自分の言葉にしてから伝えないと、きちんと伝わらないよ。」正直、耳が痛い。しかし、私自身のことを考えてくれていればこそだ。ありがたい。最近はこんなことがあった。私が、巨大台風が来る機会が増えたのでヘルパーさんが来れないことが増えるかもしれない。不安だ。」とボソッというと、そのヘルパーさんさんは、笑顔で「彩乃ちゃんは、未来のことを考えすぎている。何かあったら、助けるからもっと『今』を意識しなさい。」それを聞いて泣きそうになった。

私は、まだ人として未熟だ。しかしいつか、ヘルパーさん達に「あー。この人に色々言ってよかったな。」と思ってもらえるように努力していきたい。それが、彼女たちへの恩返しの第一歩だ。最後にヘルパーさん達へ。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。。



【プロフィール】 鶴﨑彩乃(つるさきあやの) 障害名:脳性麻痺(先天性=生まれつき)、神戸学院大学 総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科 卒業生、精神保健福祉士・社会福祉士 資格所有、大阪で一人暮らし 6年目、趣味 お城めぐり (目標 現存十二城制覇)

神戸学院大学 総合リハビリテーション学部 社会リハビリテーション学科(※神戸学院大学総合案内ページへリンクします)

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